京都市東山区 大本山東福寺塔頭 霊源院のページ



   

霊源院創建

観応年間(1350頃)鎌倉幕府崩壊の引き金となった正中の変・建武の新政・南朝の首領として有名な後醍醐天皇の皇子、龍泉和尚によって天護庵と号し創建されました。

龍泉和尚入寂後の応永年間(1400頃)在先希譲和尚により現代に続く寺名霊源院と改称されました。


本堂

水野忠重公と霊源院

  天象15年(1582年)本能寺の変の際には、現在の愛知県刈谷市の武将、水野忠重(後の備後福山藩藩主)を追手から匿いました。
爾来、霊源院と水野忠重は好誼を重ね、豊臣秀吉主催の北野花見の際には、水野家の茶屋に雅な屏風を貸すなどの便宜を図ることもありました。


水野忠重像 東福寺住職南禅松陰棟画賛 霊源院所蔵→
京都東福寺霊源院所蔵「水野忠重公肖像画」
霊源院墓地内の備後福山藩主 水野家五代分骨墓
 水野家は厚く恩義を感じ、忠重以降、後嗣が生まれず断絶となる5代の間、代々の分骨墓を霊源院に建立、霊源院への報恩を家訓とし、寄進を続けました。
水野家お位牌

伊達政宗の隻眼をリアルに描いた、肖像画

リアルな描写から歴史雑誌のカバーに採用された伊達政宗像(霊源院所蔵) 室町・安土桃山時代から江戸初期に掛けて、政治・文化の中心であった京都で、五山の一角、東福寺の塔頭であった当院には、明兆筆の掛け軸、龍泉和尚著「松山集」「北越吟」「海蔵和尚紀年録」など数々の重要文化財が残されています。
  また、当時の名士が行き交う中で由来が不明ながら、現存するものの中では、唯一、東北の勇者 伊達政宗の隻眼をリアルに描いた、肖像画も保有しています。

政治経済が完全に江戸幕府に掌握され、禁中公家諸法度などにより京都の地位が低下するにつれ、際立った動きはなくなり、京町衆に支えられて禅修行に励む歳月が重なれたようです。
明治以降、維新政府の主導による廃仏毀釈運動など、時代の荒波にもまれる時期もありましたが、檀家さんとともに寺格を守り今日に至っています。

 ■特別展示 政宗候肖像画を見る
京都東福寺霊源院所蔵 「伊達政宗公の肖像画」
歴史雑誌のカバーに採用された伊達政宗像 霊源院所蔵

明治初期創建の書院

 明治の初期に創建された書院は、古来の書院造り様式そのままで、庭と相まって落ち着いた雰囲気を醸し出します。
法要の際は書院広間をご利用いただいております。
明治初期創建の書院
この水墨画は陶芸家の父作

水子供養と永代供養墓・霊園のある寺
京都市東山区本町15丁目791
水子供養と永代供養の京都のお寺 東福寺霊源院 住職 竹内希元
Tel  075-561-9684
E-mail

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